言葉にならない記憶

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夢に出てきた犬

昨年、無くなった犬が出てくる夢を見ました。一軒家の裏口、私は住人のようです。そこから裏の門が見えます。門の向こうに何人かの人がいます。私が門のところまで歩いて行くと、犬が足元に来ました。門の向こう側の人たちが扉を開けて入ろうとしたので、とっさに私は犬を抱きかかえました。私の腕に犬の感触を感じたところで、目を覚ましました。

触感の記憶

目覚めてから、私は少し驚きました。あの触感です。夢の中で、犬の毛の少しチクチクとして、温かみのある感覚をはっきりと感じたのを覚えているのです。ところが、目が覚めている時にその感覚を思い出そうとしても、夢の中のような感覚を描くことができませんでした。

人間の記憶のかなりの部分は、意図的に思い出せない情報のようです。それは言葉になる情報、例えば、歴史の試験で暗記した年号みたいなものだけでなく、言葉にならない記憶も含んでいるようです。触感、色、におい等々の膨大な記憶、一体、どうやって頭の中に入っているのか、とても不思議に思いました。

つくられた夢

先ほどの夢で、もうひとつ興味深いことがあります。出てきた家は、私が住んだことも行ったこともない家です。部分的にどこか見たことがあるようなつくりであったものの、全体的には全て架空かつ巧妙につくられたものです。

私の脳が、現実に近い空間を勝手につくりあげてしまう。それも、眠っている、つまり体を休ませている時に、です。一体、なんのためにありもしないものをつくるのか。

会話の源

私たちが何かを考える時、このような記憶を無意識に関連付けて、自分の考えをつくりだすのではないかと、私は推測しました。私たちが、話す時にも、このような膨大な有形無形の情報をよりどころにしているのではないでしょうか。ともすると、出てくる言葉ばかりに注意を向けるものですが、その源泉となるところにも何か興味深い機能がありそうです。言葉にならない記憶をとらえるのはとても難しそうですが、その泉のような部分に少しでも波が立てば、出てくる言葉も変わるかもしれません。■