学びを追求したら問いにたどり着いた

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Photo_by_Arek_Socha_from_Pixabay

先が読めない社会の中で、個人の能力を磨くことがますます重要になっています。自ら率先して自分自身のアップデートをし、社会の変化の波に上手に乗っていく、そんな姿勢が求められています。

ただ、何のために能力を磨くのか、これがはっきりしていないと、長続きしません。小手先の技術だけでは、そのうち燃え尽きてしまいます。むしろ、「なぜ」の部分、つまり、課題の設定が結構、重要だとということが、よりよい学びを追及していたらわかってきました。

課題設定はそう簡単ではありません。自分だけが納得すれば、それで済むものでもなさそうです。課題の表現方法にも工夫がいります。

なぜなら、学びの過程は一人で完結することはあまり無いからです。他の人から、または他の人と一緒に学ぶことは長続きのコツです。でも、そんな時に、自分の課題を他の人にも理解してもらう、つまり他の人にも理解できるような課題の設定が必要になってきます。

ファシリテーションの世界では、この課題は「問い」と呼ばれています。課題を容易に認識できるようなよい問いをいかに投げかけるか、ということです。問いを通じて、他の人の関心を呼び、お互いに探究を深められる、そんな表現が求められます。

ここまでたどり着いてふりかえると、果たして私の設定した「学び」もはたして適切な言葉だったのか、今まで抱いていた違和感がひしひしと増してきました。探究、好奇心、、、こんな単語の方が適切なのかもしれません。

自分の問いはまだうまく言語化できていないようです。 もっと多くの機会をもって、自分の考えを試す必要がありそうです。■