私の雑記帳ブログでマレーシアの個性豊かなおにぎりのことを書きました。これは、海外の少し珍しいことにも見えるかもしれませんが、私はこのマレーシアの人たちの嗜好に合わせたおにぎりから異なる感想を持ちました。
みなさんは、「海外における日本料理の調理技能認定制度」を知っていますか?日本の農林水産省が2016年から行なっている事業です。
同省によると、これは、「日本料理に関する適切な知識・調理技能を修得した外国人料理人を育成し、認定数を増やしていくこと」だそうです。この制度自体は、日本の伝統文化を維持するためにあってもよいと思います。
しかし、だからといって、「適切でない」日本食を疎外してもよいということでは決してないと思います。
正統でないからといって、それをはじきだすのは危険です。
マレーシアのおにぎりの中には、将来、日本へ逆輸入されるものもあるかもしれません。そんな時に私たちは、これを「適切でない」といって切り捨てるのでしょうか?
私たちの身の回りを見ると、私たちは似たようなことを海外の料理でもしています。ラーメンやカレーは、もともと日本の料理ではないですが、日本で独特のアレンジがされ、一味違った料理として、元の中国やインドへ紹介されています。
正統でないものが、意外な進化を遂げることもあるのです。
ところで、今、米国では人種差別が大きな問題となり、様々な異なる文化を尊重するダイバーシティ、つまり多様性が主張されています。事の発端は、人が殺されるというかなり深刻な事件です。
程度の差はあるものの、私はその根本には同じ発想があると考えます。
違うことを排除しようとすることは、たとえ食べ物でも将来はもっと大きな差別につながりかねないことです。なぜなら、そういった目に見える些細なことの違いが、大きな差別にいとも簡単につながるからです。
コロナ後の日本では、このようなダイバーシティに理解を示す方たちが増えていると感じます。しかし、私自身も含め、私たちはまだまだその本当の意味を理解して行動につなげているわけではありません。
食のみならず、文化、性別や障害など、
「違いを認められる」
「あっていいよと言える」
そんな日本の社会をつくりたいものです。■