10年ほど前に複数の組織が参加し、各組織へ分散した機能を統一した新たな組織をつくるプロジェクトに参加した時のことです。最終的にそのプロジェクトは多くの新たな参加者を巻き込み、予想を超える成果を出しました。
しかし、その道のりは決して楽なものではありませんでした。複数の組織の利害が対立し、議論は行きつ戻りつしました。それでも、何度も様々な形で話し合いを繰り返しました。そのうちに、新たな参加者が続々と入ってきて、更に多様な話し合いの機会が増えました。当時は、同じようなことを繰り返していて、前に進んでいないという不満を私自身も含め、多くの参加者から聞きました。
では、なぜそのプロジェクトは続いたのでしょうか?
こういうと、プロジェクトマネジメントなど様々な理論や手法がとりあげられるものです。確かにそういったものも大事ですが、私は人だと経験的に感じています。いくら理屈で固めても、最終的には人の感情が動かないと物事は長く続かないものです。すぐに利益にならない活動や利益自体を目的としないNPO等の活動では、この傾向は更に顕著に出てきます。
当時、私は単に「よい人が偶然そろった」と思っていました。たまたま、適材適所に配置された人材がそろったのが成功要因だと思っていました。ちょうど、スロットマシンでナンバーがそろうように。
ところが、今回、あるワークショップに参加して「もしかしたら偶然ではなかったのでは?」と思い始めたのです。
そのワークショップは、複数の異なる組織や人が集まってイノベーションを達成するオープンイノベーションの課題解決を体験するものでした。そこでスピーカーの方が語られたのが、各個人のWhyを探り、みんなが協力するビジョンをつくり、これを常に確認することでした。
これを聞いたのち、あの15年前のプロジェクトで中心にいた方を思い出しました。そういえば、あの時、常に彼は新たな組織が出来たら…という話をしていたなと。それに触発されたのか、私も常に新たな組織像みたいなイメージを頭の中に描いていたのを思いだしました。
彼のあの言葉がビジョンだったのかもしれません。
ご本人は意識して話していなかったと思いますが、対立を超えてそのプロジェクトが継続したのは、彼の言葉が参加者をつないでいたのではないでしょうか。あの時は、個人のWhyまで深堀りしていませんでしたが、常に会議の前や後にご飯やお菓子を食べる時間がありました。実はこの時間に、個人のことを話したり、重要な根回しをしたりしていました。
私がそのプロジェクトを去ってから3年後。新聞で新たな組織の設立を知りました。予想外に長い時間がかかりましたが、プロジェクトに参加していた時の議論は無駄ではなかったと確信した瞬間でした。
ビジョンとは大げさなものでなくてもよいのかもしれません。高度なツールを駆使する必要もないのかもしれません。理屈ではなく、個人の本音をひろいあげ、全員でひとつの方向を示すことばがあれば、立場の違いを超えて、長く続けられる関係をつくれるのでは?と思いました。■