学びの入口:こうすれば学び続けられる

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ラジオで「なぜ勉強するのか?」というテーマでリスナーからの投稿を募集していました*1。小学生からお年寄りまで様々な方から反応があり、多くの人が学びを必要なものととらえていたことに私は少し驚きました。もっとも、投稿するのは、いわゆる成功した方たちが多いので、これが一般的な意見ととらえるのは少し無理があるでしょう。それでも、その内容は私たちが学び続けるための重要なヒントを含んでいました。

投稿には、その学ぶ理由に3つの傾向がみられました。まず、自分自身の将来のためについてです。例えば、学びは人生を豊かにするとか、生きていくために必要といった内容です。次は社会の将来のためで、世界を少しだけよくするとか、まわりの人たちのためといったものです。

これらはいずれも大変崇高な理由ですが、時間がかかりますし、本当にそれできたかの検証も困難です。確かに正しい意見ですが、私には今一つ腑に落ちませんでした。

他方、3つ目の傾向は大変わかりやすいです。自分の現在の状況で、例えば、学びは楽しいからとか学ぶ内容に興味があるのからといったものです。

誤解のないようにいうと、前者の将来の状況の投稿の中にも後者の意味を暗示する表現もあったので、これらの3つの傾向は必ずしも独立しているわけではなく、重なる部分もあるのだと思います。

私自身の学びの経験に照らしてみると、これらの3つの傾向は順を追って発生するのだと思います。まず、なんらかの興味を持って、それに関連したことを学ぶ。その結果、学びの対象がさらに面白くなり、学びが楽しいと感じ、更に学ぶ。このサイクルを続けていくうちに、人生や社会に役立つという実感を持ち始める。こんな過程ではないでしょうか。

これらの投稿を見ながら、必ずしも人生や社会をよくするために学び始めるわけではないのだろうと思いました。むしろ、そういう大義から入ると、自分の思考が硬直的になり、学びをつらいと感じるようになった挙句、長続きしません。

学びから入るのではなく、楽しさから入って気がついたら学んでいた。こんな学び方がより続けやすいのではないでしょうか。楽しさのついでに学んでしまう。そんな学びの入口を創り出したいものです。■

*1 武内陶子, “武内陶子のごごカフェ”, NHK, 2021年6月15日